さよならコール 【ESG 脱石炭火力】

   日本では、長い歴史の中で、薪(たきぎ)やそれを燃やした木炭が熱エネルギーとして利用されてきた主役だった。それが「燃える石」である石炭が発見されたことにより、400年ほど前の江戸時代初期に使われ始めた。江戸中期になると、九州筑豊炭田の石炭が瀬戸内海沿岸の町々に運ばれ、製塩のために本格的な使用が開始されている。

   世界に目を向けると、18世紀後半に、スコットランドの発明家であり機械技術者のジェームズ・ワット氏がニューコメン型蒸気機関へ施した改良を契機として、イギリスを中心に産業革命が起きた。その後3世紀に渡って石炭消費の増加は大気汚染や酸性雨などの「外部不経済」という名の副産物をもたらした。産業化に伴い公害は深刻化の一途をたどり、経済発展とともに地球規模の問題へと変わったのである。

   石炭の使用はCO2排出量が多く、これまでも各国は「低炭素化」を目指してクリーンエネルギーへの転換を進めていた。しかし、一段とハードルが上がったのは、2020年以降の気候変動問題に関する国際的な枠組み「パリ協定(2016年発効)」である。長期目標として「2℃目標」が設定され、今世紀後半にCO2の排出量と吸収量をバランスさせることが定められたのである。これにより、今まさに低炭素化にとどまらない「脱炭素化」の動きが広がりつつある。

   気候変動対策に先進的に取り組むAppleは、2030年までにサプライチェーンの温室効果ガスの排出で100%カーボンニュートラル(CO2排出量と吸収量を合わせてゼロの状態)を達成すると約束した。このバリューチェーンにはApple自身の事業活動に加えて、製品に組み込まれる部品や部品の原材料、さらにユーザーが製品を使用する時の電力まで含まれるため、環境負荷の高い電力で生産した製品を買い控える動きを見せている。前人未踏のチャレンジの感はあるが、日本でもこうした「脱炭素」の動きが拡がっている。つい最近も旭化成が「脱石炭火力」にシフトすると名乗り出た。

   旭化成は「2030年までに、工場の電力を賄う自家発電用設備で、石炭火力の使用をゼロにする」と発表した(日本経済新聞2020年9月27日)。 全社での石炭火力の使用をゼロとするために、宮崎県に6カ所ある水力発電所に最新の設備を導入することで、2026年ごろまでに水力発電による発電能力を現在に比べ9%高める。投資額も莫大なものとなり、数百億円規模になる見通しだ。2022年には同県延岡市に、液化天然ガス(LNG)火力発電所も設ける予定である。

   事業用の電力を再生可能エネルギーに切り替える動きは旭化成に留まらない。化学原料メーカー大手のトクヤマは2020年6月に自社工場用の石炭火力の一部廃止を決めた。衛生用品大手のユニ・チャームでは2020年9月から九州の工場用の購入電力をすべて再生エネルギー由来にした。積水化学工業も2030年度までに、グループ全体で購入する電力の全量を再生エネルギーにする方針を出しているが、環境対応用に設けた投資枠は実に400億円と膨大なものである。

   こうした動きの背景は、「再生エネルギーを前提とした民間取引」の広がりである。Appleの例では、取引する部品会社などが使用電力をすべて再生エネに切り替えるよう要求しており、万が一この条件を満たせなければAppleとの取引はできないプレッシャーが重くのしかかる。また、投資家も、ESG(環境・社会・企業統治)を重要視しており、ESGに真摯に取り組む企業に優先的に資金を振り向ける傾向が強まっている。金融機関も脱炭素化の潮流に身を置く。三菱UFJフィナンシャルグループ、みずほフィナンシャルグループ、三井住友フィナンシャルグループの3大メガバンクは、新設の石炭火力へのファイナンスを原則停止する方針を昨年公開している。ESGへの世界的な関心が、いま民間企業を中心に脱石炭化を推し進めている。

   これらの動きを誰よりも歓迎しているのは経済産業省だろう。資源の乏しい日本においては、エネルギーを安定的に供給するために石炭火力を使用せざるを得ない状況の中、脱炭素社会をいかに実現していくか、という大きな課題に取り組んでいる現在、民間企業の脱石炭化は追い風だ。2018年度の日本の電源構成を見ると、液化天然ガス(LNG)火力(約38%)と石炭火力(約32%)の割合が高く、CO2排出量の多い火力電源と石炭火力電源が大震災以降の原発停止分を補填している形だ。東日本大震災によって原子力発電政策が大きく後退したために脱炭素化のハードルがとても高くなってしまったのである。

   日本としては、2030年のエネルギーミックス(太陽光発電や風力発電などの再生可能エネルギー及び原子力エネルギーを増やすことによるカーボンニュートラルとエネルギー自給率の安定化)の達成に向けて、第5次エネルギー基本計画に明記している非効率な石炭火力のフェードアウトや再エネの主力電源化に取り組んでいく上で、より実効性のある新たな仕組みを導入することが国をあげて必要である。

   2030年まであと10年。日本がCoal(石炭)にさよならコール(Call)を送れるかは、政府、地方公共団体、民間企業、金融機関などが「One Team」となれるかにかかっている。果敢なチャレンジではあるが、少し楽観的に見るならば、ESGへの関心の高まりが、この動きを加速度的に後押ししていくことであろう。

引用:資源エネルギー庁 「2030年エネルギーミックス実現へ向けた対応について」

https://www.enecho.meti.go.jp/committee/council/basic_policy_subcommittee/025/pdf/025_008.pdf

 

パンチョス萩原 (Soiコラムライター)

発酵・腐敗・熟成 【SDGs 豊かな人生】

   「発酵食品」と聞いて、思い浮かぶものと言えば人それぞれだろう。チーズ、ヨーグルト、納豆、キムチ、パン、味噌、醤油、酒、みりん、ワイン、ビール、漬物、ピクルス、アンチョビ…、と枚挙に暇(いとま)がない。私たちの食事の中で発酵食品を食べていない日を探すほうが難しいほど毎日食べている。

   日本は世界の中でも有数の発酵食品国だ。発酵学者であり、醸造学の第一人者小池武夫博士によると、日本で最も古い発酵食品は、約4000年前の縄文時代の遺跡から見つかった魚醤(ぎょしょう、ナンプラー)だそうだ。同時代の各地遺跡からは、どんぐりのクッキーや醸造した酒も発見されている。

   奈良時代になると、漬物はポピュラーな食べ物となった。平安時代末期には、木灰(きばい、もっかい)を混ぜ麹菌(こうじきん)を生成するという、いわば微生物を工業生産する種麹(たねこうじ)屋が生まれている。日本の発酵文化は、古くから歴史と共に進化してきたのである。ちなみに、麹菌は醤油、味噌、みりん、酢、日本酒などの発酵食品に使われる重要な菌ということで、平成18年(2006年)に日本醸造学会が国菌に選定している。麹菌は、微生物界の日本代表だ。

   食物が「発酵」すると、栄養が体内に吸収されやすくなったり、発酵の過程でビタミンやアミノ酸といった栄養成分が生成されて栄養価がアップしたり、風味や旨みが増すなどの効果が得られるが、実は食物が微生物の力によって変化する過程は「腐敗」と全く同じである。私自身が驚いたことではあるが、「発酵」と「腐敗」の決定的な違いは存在しておらず、それが人間にとって「有益ならば発酵」「有害ならば腐敗」という視点で決められているらしい。さらに「発酵」とよく似たイメージの「熟成」においても、微生物を介さないものだけが「熟成」なのではなく、例えば「味噌」は、米などに麹菌をつけて発酵させる段階では発酵と呼ばれるが、その先は麹菌の出す酵素によって「熟成」が進むため、決して微生物が介在しないとは言えず、「発酵熟成食品」と呼ばれるそうだ。

   要するに、「発酵」「腐敗」「熟成」は、「人間にとって有益か有害か」という観点から人間が主観的な判断をしたものであって、日本人にとっては馴染みが深い「納豆」や「くさや」などの発酵食品も、外国の人々から見たら「腐った物」だと思われることもあるし、逆に日本人から見たら、「世界一臭い食べ物」と呼ばれるスウェーデンの「シュールストレミング(塩漬けにしたニシンの缶詰)」などは腐っているとしか思えなかったりする。私自身は、どうしても青カビチーズは単に腐っているようにしか見えなくて、むかし中学生の頃、学期末の掃除の時に何故か机の引き出しの中から出てきたカビだらけの食パンと全く同じ印象を持つ。しかし、ピザに入っている青カビチーズを大好きな人もたくさんいるのである。青カビにせよ、乳酸菌や麹菌にせよ、微生物たちの立場からしてみれば、彼らはただ食物の中で生きて活動しているだけなのである。

   食物が微生物の作用によって発酵や腐敗をするように、私たちも人生を歩む中で、さまざまなものが作用し、人生が発酵したり腐敗したりする。人生を豊かに変えるものとしての例を挙げれば、学習によって得られた知識や、訓練によって習得した技術、また、人から言われた勇気の出る言葉などがある。

   SDGsの17目標のような、いまここにある世界のさまざまな困難や課題に取り組むことも、人生を発酵してくれる作用そのものだ。紛争、災害、教育、LGBT、差別、貧困、平等、環境汚染、平和、公正など、実在するあらゆる課題を解決することで、誰一人取り残されない社会を実現しよう、と行動する人たちの人生は豊かだと思う。反対に、利己的に社会から搾取しよう、自分が大きな利益を得ようという知識や考えに基づいた人生は、不平等や争い、平和の破壊、環境の負荷増大につながることになりかねない。

   発酵食品が優れているのは、栄養吸収率やビタミンやアミノ酸などの栄養価がアップしたり、風味や旨みが増すことに留まらず、実はもっとすごいことがある。発酵によって腐敗菌の侵入をブロックするのである。なので野菜や牛乳などは、そのまま放置しておけば単純にすぐに腐ってしまうが、乳酸菌の作用で漬物になったり、ヨーグルトになると腐敗菌が繁殖しづらくなって、食品は長持ちするのだ。

   人生を豊かにしよう。そしてさらに成熟していこう。

 

参考文献

一般財団法人 食品分析開発センターSUNATEC

http://www.mac.or.jp/mail/100701/02.shtml

一般社団法人 日本発酵文化協会 

https://hakkou.or.jp/about/farmentation/

マルコメみそ 発酵美食 

https://www.marukome.co.jp/marukome_omiso/hakkoubishoku/20181025/10134/

 

 

パンチョス萩原(Soiコラムライター)

声の伝達を超えて 【SDGs 技術革新】

   「カステラ1番、電話は2番、3時のおやつは文明堂~」とオッフェンバッハの「天国と地獄」の軽快なテンポに合わせて小熊たちがラインダンスをするテレビCMは、私が子供の頃からある。CMの「電話は2番」は本当か?と、文明堂のHPを見てみると、文明堂東京本社の電話番号03-3351-0002に続き、ほとんどの支社、工場も下4桁は「-0002」となっている。

   文明堂の電話がいつの時代の「2番」なのかは寡聞にして存じ上げないが、日本で初めて電話のサービスが始まったのは、イギリスから磁石式のガワーベル電話機が輸入された明治23年(1890年)である。明治23年は、初めて衆議院の総選挙が行われたり帝国議会が開かれたりして、日本の近代化が本格的に始まった年だ。当時の電話加入数は、わずか197世帯(東京155世帯、横浜42世帯)と非常に少なかった。設置された電話は役所や通信社、交換所などがほとんどで、加入者は1番から順に割り当てられていた。1番は現在の都庁(東京府庁)であった。個人名での登録は大隈重信、渋沢栄一など政治やビジネスのトップランナーぐらいしかいなかった。電話と電話は交換所で交換手によって手動で繋げていた。当時の電話代は1カ月契約で現在の貨幣価値で約15万円、東京~横浜間は通話5分2250円ほどだ。一般庶民の給与で到底加入できるレベルではない。

   日本人が初めて電話機を見たのは、上記からおよそ40年遡(さかのぼ)った1853年、ペリー提督が浦賀に来航した際、日本側に献上したエンボッシング・モールス電信機というもので、ペリーは2台アメリカから黒船に積んで持ってきていた。実演はペリーらがいた応接所と地元役の家の間に1マイルほどの電線が張られ、アメリカ人民間技師2名が操作した。ペリーが記した遠征記に、その時の状況が残されている。「両端にいる技術者の間に通信が開始されたとき、日本人は烈しい好奇心を抱いて運用法を注意し、一瞬にして消息が英語、オランダ語、日本語で建物から建物へと通じるのを見て大いに驚いた。毎日毎日役人や多数の人が集まって技手に電信機を動かしてくれるようにと熱心に懇願し、通信が往復するのを絶えず興味を抱いて注意していた。」(原文ママ 引用「城水元次郎著 電気通信物語―通信ネットワークを変えてきたもの」)。目を丸くして電話機を眺める当時の日本人たちが偲ばれる。

   庶民らに電話が身近になったのは、町に公衆電話が設置された明治33年(1900年)である。上野駅と新橋駅(当時は停車場といった)にそれぞれ屋内に1台ずつ設けられた。その当時はようやく1万世帯まで電話加入数は増加し、「もしもし」という電話の挨拶が定着してきた。しかしながら、一般家庭に普及はしていなかった。

   昭和の時代に入ると、電話機の進化と通信関連の行政化が進んだ。いわゆる「黒電話」の元祖となる「3号自動式卓上電話機」が登場した。昭和8年(1933年)には、郵便や通信を管轄していた逓信省(ていしんしょう)によって、日本国内で制式化され、やがて、現在のNTTの前衛であった日本電信電話公社(昭和27年(1957年)設立)に管理が引き継がれていく。ダイヤル式が普及する中で、ボタン式のプッシュポンが昭和44年(1969年)に登場する頃には黒だけでなくグレー、ホワイト、グリーン、レッドなどのカラー機も人気となった。昭和55年(1980年)にはコードレス電話が登場した。そうして、ようやく今から25年ほど前の平成7年(1995年)、デジタル化されたコードレス電話PHSのサービス開始となったのである。誰もが「ピッチ」と呼んでいたこのPHSの普及で、働き方が大きく変わった。

   平成9年(1997年)になると、インターネットに接続できる携帯電話が登場し、やがてコンパクトに折りたためる「ガラケー」となり、ついに平成20年(2008年)、ソフトバンクがiPhoneを販売し始めたことで、日本でもスマートフォン(スマホ)が普及し始めた。今年現在の携帯電話普及台数1億2590万台のうち、8割に近い台数は既にスマホだそうだ。歴史的にみて、日本に電話が誕生して150年、スマホの歴史は実に12年しかないが、高速ブロードバンド通信の技術革新とスマホ自体の進化は年々目覚ましく、これから訪れる5G世代の通信速度は20Gbs(1秒間に200億ビット)で、30年前の電話と比べると速度は1万倍だ。

   総務省情報通信白書(平成27年度版)によれば、全世界の携帯電話加入数は2003年には13億8520万人であったが、2014年70億6390万人に増えており、大塚商会のHPでは出典元は調べ方が悪かったのかよくわからなかったが、2020年の加入数予測が88億人という数字が記載されている。特にアフリカでの携帯電話普及率が近年爆発的となっており、携帯電話利用が、電力や水道などの他のインフラの普及に先行し、アフリカ諸国等の低所得国を含む全世界へと広がっている形だ。アフリカ諸国等では、普及した携帯電話を活用して、金融、医療などの様々な分野での産業革新や生活改善が行われている。

   近代日本の発展に大きく貢献した電話の普及。そして現在、携帯電話の普及を契機とした社会経済の急激な変化の「モバイル革命」が起きている。持続可能な社会に通信は欠かせない。ネット販売などの商業利用、災害時での使用、遠隔地における教育、ひいては健康管理やライフワーク支援、通信の発達で人の移動せずに済むことによる省エネルギー化など、本当に多岐に渡ってSDGs目標に貢献している。

   カステラ1番だが、「電話も1番」だと思う。

出典:

KDDI Time&Space  https://time-space.kddi.com/

参照文献:

城水元次郎著 電気通信物語―通信ネットワークを変えてきたもの(2004年 オーム社)

明治時代の「1円」の価値ってどれぐらい? man@bow  https://manabow.com/zatsugaku/column06/

NTT西日本 電信電話の歩み https://www.ntt-west.co.jp/info/databook/34/index.html

総務省 電気通信サービスの提供状況・利用状況 https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/r01/html/nd232210.html

平成27年版 情報通信白書 https://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/h27/pdf/n2300000.pdf

ITU World Telecommunication/ICT Indicators 資料ほか

 

 

パンチョス萩原 (Soiコラムライター)

こと の は 【SDGs 社会包摂性】

   「女性は生む機械」、「北方領土を取り返すにはロシアと戦争を」、「復興以上に大事なのは高橋さんでございます」など、政治家による「失言」は後を絶たない。名の知れた芸能人や大企業の社長もツィッター上でつぶやいた一言が大炎上し、番組の降板や辞任に陥るケースも多い。ほとんどの場合、失言した後に本人に対する非難が殺到し、本人が謝罪し発言を撤回または発言の意図を弁明するパターンだ。

   自民党は昨年、「失言や誤解を防ぐには」というタイトルで会見対策マニュアルを所属議員や秘書に配布した。内容は記者会見時の注意事項がメインで、「報道陣の前での発言は放送の尺や文字数の関係で発言が切り取られたりタイトルに使われる場合があるから、そのことを意識して」とか、「発言は各社の方針に沿ってまとめられたり編集されたりするから、自らの発言に対しては慎重に」などと、「ついつい口がすべって」ということがないように喚起している。要するに「発言する前に内容をよく考えてからしてください」ということだ。

   しかしながら、失言というのは「よく考えてから発言」しているために起きているのだと思えてならない。

   政治家がウケを狙おうとしてその場の雰囲気でついうっかり言わなくてもよいことを言ってしまうことは確かにあるが、ツィッターなどSNS上のコメントは、思わず手がすべって書いてしまった、などは到底ありえない。芸能人や有名な医者、事業家などが時折SNS上に書き込む過激なコメントや、対象者を傷つけかねない非常識なコメントを拝見する限り、自分が伝えたい内容を「十分に考え抜いて言葉をあえて選んで」書いているように思える。書いたコメントに対し、視聴者が共感してくれて「いいね!」をたくさんくれるだろうと期待しての発言だろうが、一転非難が殺到して炎上すると訂正や謝罪、コメントの削除となる。

   つい最近もレタスクラブが科学的に何の根拠もないのに、唐揚げのことを「毒めし」と称し、「やめて成績アップ!子供が天才になる食事」なる記事を掲載したが、殺到したおびただしい批判に対し謝罪した。ただこの場合、レタスクラブの謝り方が「唐揚げを否定してしまい申し訳ない」だったので、「ニセ科学記事をさも本当のように載せたこと」に対して激怒した読者たちの怒りはいまだに収まっていない。

   SNSの視聴者や読者に受け入れられない差別や過激な思想、根拠のない断定、ある特定の人や組織に対する攻撃や中傷などのコメントを何故人は書いてしまうのか。私の個人的な思いとなるが、心理学的な観点から見た場合、「紋切型バイアス」と「合意推測バイアス」がある気がしてならない。

   「紋切型バイアス」とは、どのような人も必ず持っている心の偏りで、性別、年齢、職業、年収などで相手のイメージをステレオタイプに根拠なく作り上げてしまう傾向のことである。「女性は~すべきだ」「年寄りはみんな~だよね」「まったくおじさんって~しないよね」「フリーターなんだから~にちがいない」などの発言は、その人がその対象に持っている偏った概念であり、本来はそうではないこともある。

   「合意推測バイアス」とは自分の考えは正しく、その正しい考えに人は必ず賛同するだろうと思う傾向である。ビジネスで成功を収めた優れた企業のトップや、歌がうまく、主演した映画が大ヒットして素晴らしい偉業を芸能界にもたらした有名な俳優などが決して新型コロナ問題に精通していない場合も多いのに、それぞれの分野で高い評価を得た自分の考えは正しいと考える傾向により、ゲスト出演したニュース番組などで専門外の感染者数拡大の原因というテーマなどにおいても時に空気を読まない持論や少し言い過ぎかなと思えるような体制批判を展開してしまう。

   冒頭の政治家の発言も、それぞれ、ジェンダーの偏見、自らの考えの押し付け、聴衆も自分と同意見だろうという感覚から発せられた言動であろうが、自分としては正しいと思える主張や正義も、多様な考えと信念を持つ人々に必ずしもそのまま受け取られることはなく、社会道義的に許容できる内容でなければないほど聞く側にとって拒絶されることとなる。失言しないように「何を発言するか」、ということを考えるよりも、まず自分の考え以外にも多くの考え方があり、自分の考えにも間違いがあるかもしれない、ということ、そして何よりも「自分の発する言動によって傷つけてしまう人々がいないだろうか」、ということを想像力をもって考えることが大切だと思う。 

   SDGsの5つの主要原則の一つに社会包摂性(しゃかいほうせつせい)がある。人権の尊重とジェンダー平等の実現を目指し、社会的に弱い立場にある人々をも含め、誰一人も取り残されることなく、排除や摩擦、孤独や孤立から援護し、地域社会の一員として取り込み、支え合う考え方のことである。反対語は社会的排除だ。お互いがお互いをリスペクトし、支え合って生きていく社会を築きたい。

   「ことば」は文字通り「言(こと)の葉(は)」と書く。私たちの使う言葉が美しければ、私たちは瑞々(みずみず)しい葉でいっぱいの木のようなものだ。もうじき落ち葉の季節が訪れるが、もしも枯葉のひとつひとつが鋭くナイフのように尖っていたならば、とてもじゃないが私たちは街路樹の下を歩けない。差別的・暴力的・軽蔑的な言葉はそのように人の心を傷つけてしまう。

 

パンチョス萩原(Soiコラムライター)

渡り鳥に想う 【SDGs 陸の豊かさ 生態系】

   先週末からの4連休は各地で人出が多く、主要な高速道路でも久しぶりに大渋滞のニュースが流れていた。私も神奈川と千葉の車の移動で都心を抜けて往復したが、何箇所かで渋滞にはまった。休憩に千葉県内の自然に囲まれた野呂パーキングエリアに立ち寄った。春から夏にかけては、主にトイレ棟の軒下の至るところにツバメが巣をつくって可愛いヒナたちが顔を覗かせていたが、連休最終日に天井を見上げると、どの巣も既に空っぽであった。今頃は、越冬のために日本から遠く2000キロ以上離れた東南アジアを目指して飛んでいることだろう。そして、来年の初夏の季節にまた同じ場所に戻ってくる。

   ツバメのような渡り鳥は、その年の季節の進み具合によって飛来する時期が変わる。渡り鳥は、大別すると夏鳥と冬鳥があり、代表的な夏鳥のツバメ、カッコウ、キビタキ、オオルリなどは、日本が冬の間は東南アジアで過ごし、初夏には日本に飛来して繁殖する。反対に、代表的な冬鳥のカモ、ハクチョウ、ガンなどは、シベリアなどで夏を過ごして繁殖した後、秋になると日本にやってきて冬を越す。ちょうどこれからの季節が各地でこれらの冬鳥の便りが聞かれ始める。環境省では、全国39カ所の地点で毎月3回、月の初旬、中旬、月末近くに渡り鳥の飛来状況の調査を行ってHP上で公開している。

   考えてみれば、何故、渡り鳥は危険を冒しつつも遠い地へ移動するのか、何故、休まずに飛び続けられるのか、何故、道に迷わず正確に目的地に到着できるのか…、などの疑問が湧く。さまざまな渡り鳥の関連サイトや科学系の雑誌などの記載を見てみると、鳥に備わった偉大な能力と習性に驚かされる。

   渡り鳥が長距離を飛行する目的は、簡単に言うと天敵がいない場所で繁殖したり、なるべく競争が少ない環境で食べ物が豊富な場所を選んだりすることが理由だ。何故、長時間飛べるのかは、鳥は半球睡眠(はんきゅうすいみん)と呼ばれる能力が備わっているため、体力の消耗を極力抑えられることが理由である。平たく言うと、半分寝ながら(片方ずつ脳を休ませながら)飛んでいるのだ。渡り鳥の中にはキョクアジサシのように北極圏から南極圏まで移動している鳥もいるが、直線距離でも2万キロあるのに、大気中の風を効率的に利用するために実際の飛行は片道8万キロに及ぶというから驚きだ。

   また、正確に長距離を飛ぶことができるのは、太陽や星座の位置、地球の磁場を感知して方角を計測したりしている。そして、目的地にある程度近づいたら、地形の記憶を頼りに飛び、最後は目で確認して目的地へたどりついているらしい。飛行距離は鳥の大きさによって限界があるので、どの季節にどの場所で過ごすのかという戦略は鳥ごとに違っていて、一番リスクの少ない選択をしている(環境省、日本野鳥の会、Honda Kidsほかを参照)。

   日本は、かような渡り鳥の生態を保護するための取り組みとして、特に絶滅のおそれのある渡り鳥の類を相互に通報し、その生息環境の保護に力を入れている。現在では「二国間渡り鳥等保護条約または協定」を、米国、ロシア、オーストラリア及び中国とそれぞれ締結している。

   渡り鳥に限らず、水鳥の生息地を保護する働きは、1971年にイランのラムサールで開催の国際会議で締結された「ラムサール条約(正式名称は、特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約)」によって各国における環境保護活動が続けられている。ちなみにラムサール条約で保護されている湿地の数は2018年地点で世界では1832箇所、日本では52箇所である。水鳥が食物連鎖の頂点である湿地の多様な生態系を守ることを目的として締結された本条約は、世界的に破壊が進む熱帯雨林やサンゴ礁の保護と合わせて国々のパートナーシップにより尊重され、進められているのである。

   過ごすのに最適な場所を記憶していて、毎年同じ場所を目指してやってくる渡り鳥たちにとって、いま、森林破壊や都市化などが生態系を脅かすことになっている。帰る場所がなくなれば繁殖することもできないし、鳥を頂点とした食物連鎖も大きく崩れてしまう。経済的な理由から貧困国などでは、商業発展を第一とした自然との共存をないがしろにした無計画な農園経営などによって渡り鳥が生息できなくなる事例も多くある。例をあげれば、南米のコーヒー農園の拡大による森林伐採がある。

   このような状況を打破するため、“米国立スミソニアン動物園保全生物学研究所のスミソニアン渡り鳥センターは1999年から、「バードフレンドリー認証」制度を開始し、持続可能な森林農業(アグロフォレストリー)の観点から、木陰栽培コーヒーを支援している。同認証を取得するには2つの条件があり、一つは有機栽培。もう一つが、自然林に近い植生でのコーヒー栽培。コーヒーが育成されている地域で、木陰を作り出している他の樹木の樹高や樹種が審査される“(原文ママ、Sustainable Japan 2017年5月4日 コーヒー栽培と渡り鳥の生態系保護。バードフレンドリー認証の意義より引用) 。

   SDGsの目標15「陸の豊かさも守ろう」には、多様な陸の生物における生態系保護に加えて、それらの生物が暮らす環境の整備も含まれている。渡り鳥は数千キロもの長旅を終えて毎年同じ場所に戻ってくる。来年もそしてそれから先も、同じように渡ってくる鳥たちをいつまでも迎えられる環境を維持していきたい。

 

パンチョス萩原 (Soi コラムライター)

顔の革命 【SDGs ハーモニー】

   30年も前のことだが、「顔の革命」という子供向けの愉快な物語を聞いた。確かこんな話だった。

   あるとき、顔の中の、「口(くち)」がこう切り出した。「あぁ、忙しい! 私はいつでもご主人様がしゃべる時や、ごはんを食べたり、ジュースを飲んだりする時は、ずっと働いているのよ。本当に休む暇もない!何でこんなに私ばかり忙しいのよ!」すると、双子兄弟の「目(め)」がこういった。「何を言ってるんだい、口さん、俺たちの方こそご主人様が見たいものをいつでも見せているんだよ。俺たちの方が忙しくてたまらないよ。」「いやいや、待ってよ。」と今度は双子姉妹の「耳(みみ)」が喋りだした。「あたいたちはご主人様が他の人と話をするためにその人の声を伝えたり、素敵な音楽を聴かせたり、あたいたちが一番忙しいんだ!」「何言ってるの?私よ!」「俺たち目が一番だ!」「いやいやあたいたちよ!」…と口と目と耳は自分が一番忙しい、と言い合って譲らない。言い争いは果てしなく続いた。

   しばらく経った時、ふと、目がこう言いだした。「…、ちょっと待てよ?…なぁ、みんな。ふと思ったんだんだが…。ほら、俺たち全員がいる顔の真ん中にもう一人いるだろ…ほら、「鼻(はな)」だよ、鼻。いったいあいつは何してんだ?」 「え? あ、いるわね、そういえば、鼻が。だいたいあのヒトは顔の真ん中にでんと胡坐(あぐら)をかいて座っているくせに何もやっていないじゃないのよ」、耳たちもそうつぶやいた。「本当ね。鼻って何の役にも立っていないじゃないの。こっちがこんなに忙しいのに、ホント腹が立つわね!」、口も続いた。

   「おい、鼻、お前いったい何やってんだ?俺たちがこんなに忙しいのに、何の役にも立たないお前がそこにいるとこっちがいい迷惑だよ!」と目が鼻に向かって叫んだ。「そうよ、そうよ」「ほんとに役立たずなんだから!」

   すると、じっと静かに聞いていた鼻がのそっとした声で言った。「…そうですか…、皆さんお揃いで私が役に立っていないから邪魔だと言うんですね…。いいでしょう。では私は働くのをやめるとしましょう。さようなら」、そう言って、鼻はシューっと二つの穴を閉じてしまった。

   鼻がつまってしまったおかげで、しばらくも立たないうちに、呼吸が苦しくなり、口はハァハァと息が荒くなった。目からは涙がボロボロ流れ、耳はキーンとものすごい耳鳴りがしだした。「やゃ、これはたまらん!鼻が動かなくなるとこんなことになるなんて!わ、わかったよ、鼻さん、ごめんなさい。頼むから閉じたままにしないで!」

   「ごめんなさい」「ごめんね。もう役立たずなんで言わないよ。」「なぁ、みんな。僕たちはそれぞれ色々な役割でご主人様のためにみんな働いているんだね。もう誰が忙しいかなんて言い合うのよそうね。」

   「顔の革命2」の話もある。

   あるとき、またまた「口(くち)」が愚痴をこぼし始めた。「みんな忙しいのはわかったけど、何で私が顔の中で一番下にいなきゃあならないのよ。これじゃ私が一番の下っ端ってことじゃない。そんなの許せないわ! ねぇ、「目(め)」さん、ちょっと場所変わってよ。あなたたち一番上でズルいじゃないの!」 そう言ったが早いか、口は無理やり目を押しのけて顔の一番上に収まった。目はしかたなく口がいたところに移動し、鼻は目が移動するときにぶつかった拍子でくるっと逆さになってしまった。一番上に収まった口は嬉しくて大満足だった。

   しばらくしてご主人様が牛乳を飲み始めた。口は牛乳をきちんと受け止めていたが、慣れない場所に来たので、途中、口から牛乳をドバドバとこぼしてしまった。するとこぼれた牛乳が上を向いている鼻の穴の中に流れ落ち、そして目の中に入った。「いててて、いてて」「痛いよー、助けてぇ!」鼻と目は悲鳴を上げた。「だ、だめだよ、口さん、これじゃあ毎日たまったもんじゃないよ!」目がたまらず叫んだ。「ご、ごめんなさい、鼻と目さん。私がどうして顔の一番下にいるのか、今、よーくわかったわ。そこが私にとっても、みんなにとっても、最高の場所ってことも。」

   100冊のSDGs関連の本を読むよりも、この2つの物語は、人と人との相互依存、適材適所の意味と大切さを教えてくれる。

 

パンチョス萩原 (Soiコラムライター)

国連の意義 【SDGs パートナーシップ】

   第75回国連総会が米ニューヨークの国連本部で9月15日から開催されているが、今週22日月曜日から幕を開けた加盟国の国家元首による一般討議演説が熱い。今年は新型コロナウイルスの感染対策として、事前に収録されたビデオを流す形式で行われた。注目される初日に登壇した33人の国家元首が全員男性であり、女性が登場しなかったことに対しては、ジェンダー平等を謳(うた)う国連としては残念、との声も聞かれている。

   日本のメディアでは、米トランプ大統領や中国の習近平国家主席の演説の模様が放映されたが、新型コロナウイルスへの対応をめぐって米国側が「チャイナウィルス」と名指しするなど、両国の根深い対立が浮き彫りになった形であった。また、フィリピンのドゥテルテ大統領の演説では、中国が主張した南シナ海全域の管轄権を否定した2016年7月12日に下されたハーグ仲裁裁判所の判決について、「判決を葬り去る試みは断固として受け入れない」と異例の強い言葉で延べ、中国の海洋進出をけん制した。ビデオなのでどの国家元首も言いたいことを言えたのだろうか。もしも同じ場にいたら激烈に反応していたかもしれない。

   ご存じの方も多いと思うが、激しい対立をしている米中であるが、中国は2020年8月現在で米国債を1兆700億ドルも保有し、外国勢としては日本の保有額1兆2600億ドルについで第二位である。つまり米国は中国から日本円にして117兆円という膨大な資金を調達しているのである。また、南シナ海の領有権で対立が激化するフィリピンと中国においても、フィリピンは中国からODAを供与されており、国鉄の首都圏通勤鉄道(北線、南線)や首都圏地下鉄のような重要案件をはじめ、ルソン島北部のチコ川灌漑(かんがい)揚水、首都圏の橋の設置と拡幅、ミンダナオ鉄道などの支援を受け続けているのである。しかしながら、ゴールデンタイムに放映されるテレビニュースなどのメディアでは、国々の対立が誇張された報道になっている感はある。実際には、持ちつ持たれつで国々は成り立ち、民間企業レベルではいまやグローバルな協力体制なくしては事業が成り立たないことは事実である。

   国連の成り立ちについて、外務省のHPからそのまま引用すれば、「第二次世界大戦を防げなかった国際連盟の反省を踏まえ、国連(国際連合)は1945年10月に51ヵ国の加盟国で設立され、我が国は1956年12月18日、80番目の加盟国となりました。」とある(外務省https://www.mofa.go.jp/mofaj/fp/unp_a/page22_001254.html)。 近年では2011年に南スーダンが加盟し、現在加盟国数は193ヵ国に及ぶ。国連における公用語は、英語、フランス語、中国語、ロシア語、スペイン語、アラビア語の6カ国語である。

   当たり前の話ではあるが、国連こと国際連合(United Nations)は、世界が平和においてひとつ(united)となるために絆を強め、お互いを尊重しつつ共に貧困国救済や世界の紛争の抑止、人権の尊重、環境保護の促進などを目的として設立された国を超えた組織(Intergovernmental Organization)である。国連の最高トップは事務総長であり、現在は、元スペイン首相であったアントニオ・グテーレス氏が2017年よりそのポジションに就いている。

   私自身としては、今から4年前に、スイス・ローザンヌのとあるビジネススクールの講義の中で、2018年8月に逝去された、故コフィ・アナン前事務総長の講義を拝聴したことがある。アナン氏はその講義の中で、1990年に起きた有名なイラクのクウェート侵攻事件の際、彼が直接担当した国連職員900人と欧米人らの人質解放交渉において、お互いに利害が相反する状況で相手とコミュニケーションをどのように行なったのかについて詳しく教えて下さった。今思えば、世界平和のために尽力する国連という組織をとても身近に感じた本当に貴重な体験であった。

   国連が提唱するSDGsの17目標は、歴史の中で人類が戦争や奴隷制度、環境破壊などの禍根を残した失敗からの方向転換や、将来の希望に向かう行動など、生きとし生けるすべての人々が一人も取り残されないことを目指して生まれたものである。今週開催されている国連総会で、国家元首は一体誰に向かって演説をしているのだろう? 特定の国に対する批判があることはわかるが、75年前に多くの反省からスタートした国連の意義を改めて再認識し、各国がパートナーシップによって未来を切り開くための方策や決意について、より時間を費やして語って頂けたら、と心から願う。

 

パンチョス萩原 (Soiコラムライター)

ルノー君の思い出 【SDGs 共感】

   正確にいつだったのかは思い出すことができないが、もう20年近く前のことだ。今でも忘れられない思い出がある。

   その当時勤めていたフランス外資系企業でベルギーのブリュッセルに各国の経理担当者が集まる出張があり、私も出席した。出張日程は2日間であったが、私は帰国する前にパリ観光をしようと思いついた。具体的な計画はぜんぜん立てていなかったが3日間くらいをを考えていた。そのことをブリュッセル滞在中に同僚たちに話すと、その場にいたパリ本社から参加していた幹部の方がリーズナブルなホテルを予約してくれた。パリ5区と6区にまたがるカルチェ・ラタン地区の「Monge(モンジュ)」というこじんまりとしたプチホテルだった。

   スマホやWi-Fi、Googleマップなどまだ存在しない時代、住所と電話番号だけを印刷して渡してくれた。最寄り駅はリュクサンブール駅とある。私はパリのガイドブックに載っている地図に駅とホテルの住所あたりに目印をつけた。

   出張が終わり、ブリュッセルから一人でフランスのシャルルドゴール空港まで移動し、空港からRER(フランスの近郊電車)に乗り継ぎ、夕方にリュクサンブール駅で降りた。地下のホームから地上に上がって愕然とした。道が放射状でどの道を行けば良いのか皆目見当がつかない。とりあえず目印となるリュクサンブール公園近くを歩いてホテルの方角に近づこうとしたが、また放射状の道のある交差点にぶつかるのである。そんなことを繰り返すうちに、完全に迷子になってしまった。

   ホテルに電話をする手段もわからない。自分が今いる通りの名前もわからず、地図を片手にスーツケースをガラガラ引き、うろうろとさまよう30代半ばのアジア人がそこにいた。

   途方に暮れていた時、前方から一人の青年が急ぎ足で歩いてくるのが見えた。思い切ってその青年に声をかけて事情を話した。その青年は立ち止まって私の話を聞くと「そのホテルの住所を見せて」という。しばらく眺めていたが、彼にも全く見当がつかないらしかった。すると、「とりあえずこっちの方へ行ってみたらいいかもしれない」と言って、一緒に歩きだしてくれた。ホテルにも電話をしてくれて道順を確認してくれている。しかし、10分くらい歩いたが目印となるはずの建物が見つからず、道行く人にも「Monge」の場所について聞いてくれたが皆わからないという。パリ5区の道は建物もすべて同じように見える上に非常に複雑な道が多い。

   日はとうに暮れており、もはや地図も街灯なしには読めなくなった。もう30分は歩いている。歩きながら彼は携帯電話を取り出し、家に電話をかけているようだった。電話が終わると「今日は奥さんと食事に出かける予定だ。それなので少し遅くなると伝えた」と言った。本当に申し訳ない思いである。歩きながらお互いのことを話すようになった。彼はエンジニアだそうだ。名前を尋ねると「僕はルノー」とだけ言った。「パリはいいところが多いから楽しんだらいいよ」といろいろと教えてくれた。

   ついに、ホテルがある通りに出ることができた。しばらく進むとようやくホテル「Monge」を見つけた。想像をしていた日本で見かけるホテルのイメージとは全く違い、周りの古い石造りの建物に完全に同化した、一人では絶対に見つけ出せていなかったであろうというシロモノのであった。

   ルノー君がホテルの薄暗い玄関先で看板を確認し、「ここがMongeだ、間違いないよ。良かったね」と笑顔で言った。家で奥さんとの食事があり急いでいたはずなのに、1時間近くも一緒に歩いて私のホテルを探すのに付き合ってくれた。「ぜひとも御礼をさせてくれないか、せめて名刺だけでも欲しい」、と言ったのだが、「じゃあね」と手を振ってルノー君は暗がりに歩いていってしまった。

   “Real love begins where nothing is expected in return (本当の愛はお返しをしてもらおうなどと思わないところから始まる)“ とは、昔、長崎を訪れた時にとあるキリスト教会の入口に書いてあった言葉だ。SDGsの17目標は、誰一人として取り残されない世界を実現を信じて、世界の貧困や衛生環境、人権の尊重やジェンダー平等の実現などで困っている人々のための具体的な支援に取り組むためにある。そして支援を受けた人々が、いかに持続可能な社会を築いていけるかを見守っていくのである。

   そんなSDGsの目標達成に向けて働く担い手は、何もボランティアの達人であったり、権威ある団体に所属したり、体系的にSDGsを学んだプロであったり、金持ちである必要はない。本当に困っている人々に共感し寄り添い、具体的に何に対して困っているのか、自分にはそれに対して何ができるのか、を理解しさえすれば、いかなる人も支援の種まきや環境改善の取組はできる。多くの中小企業や家庭でも住みよい社会づくりや消費の無駄、ゴミの削減などに参加している。結果、自分たちが幸せ(Well-Being)になるだけでなく、社会的な評価も上がり、会社の業績も良くなるのである。SDGsに必要なのは社会的問題と人に対する共感だ。

   ルノー君がしてくれたことを忘れることはない。彼はその後も幸せに暮らしているのだろう、と思う。

 

パンチョス萩原(Soiコラムライター)

暑さ寒さも彼岸まで 【SDGs 気候変動】

   今日9月22日は秋分の日だ。太陽が真東から上って真西に沈み、昼と夜の長さが同じになる。英語では「Autumnal Equinox Day 秋の昼夜平分時の日」と言う。

   秋分の日が国民の祝日となったのは1948年で、先祖を敬い、亡くなった人々をしのぶことを目的として制定された。この時期に多くの日本人はお彼岸(ひがん)でお墓参りにいく。今年はコロナ禍であるが、4連休ということもあり、GWやお盆に実家に帰ることが出来なかった人々の出が増えているとニュースで聞いた。

   「彼岸」とは仏教用語で、煩悩や悩みの海を渡って辿り着く悟りの世界(=極楽浄土)のことを指し、反対に私たちが住んでいる煩悩や迷いに満ちた世界を「此岸(しがん)」と呼ぶ。昼と夜の長さが同じになる秋分の日にはあの世の「彼岸」とこの世の「此岸」が通じやすくなると考えられ、先祖供養をするようになったらしいので、同じお墓参りをするお盆とは概念が違うらしい。

   「秋分」は日本の暦で一年間を24等分した二十四節気(にじゅうしせっき 四季をさらに6つずつに分けた季節の指標)のうち、9月23日頃から10月7日頃の時節にあたる。参考に二十四節気は以下の通りである。

春(2月4日頃~4月20日頃)

立春(りっしゅん)→雨水(うすい)→啓蟄(けいちつ)→春分(しゅんぶん)→清明(せいめい)→穀雨(こくう)

夏(5月5日頃~7月23日頃)

立夏(りっか)→小満(しょうまん)→芒種(ぼうしゅ)→夏至(げし)→小暑(しょうしょ)→大暑(たいしょ)

秋(8月24日頃~10月10日頃)

立秋(りっしゅう)→処暑(しょしょ)→白露(はくろ)→秋分(しゅうぶん)→寒露(かんろ)→霜降(そうこう)

冬(11月7日頃~1月21日頃)

立冬(りっとう)→小雪(しょうせつ)→大雪(たいせつ)→冬至(とうじ)→小寒(しょうかん)→大寒(だいかん)

   彼岸も含め、上記の二十四節気と同様に季節の移り変わりの目安となるものに雑節(ざっせつ)と呼ばれる暦日があり、五穀豊穣や邪気払い、先祖供養などの多くの行事が行われている。雑節には、社日、節分、彼岸、土用、八十八夜(立春から数えて88日目の種まきの目安)、入梅、半夏生(夏至の10日後)、二百十日(立春から数えて210日目、暴風雨があるとされる)、二百ニ十日(立春から数えて220日目)がある。(参照:国立国会図書館資料より)

   「暑さ寒さも彼岸まで」と言われるが、今年の夏は記録的な猛暑であった。8月17日にはこれまでニュースにもならなかった静岡県浜松市で史上初めて国内最高気温と並ぶ41.1度を記録した。40度以上という異常な気温は、浜松のほかにも静岡県天竜(40.9)、群馬県桐生(40.5)、群馬県伊勢崎(40.5)、新潟県三条(40.4)、埼玉県鳩山(40.2)、新潟県中条(40.0)で観測された(気象庁HP)。

   市街地では日中に温められたコンクリートやアスファルトが夜になっても温度がなかなか下がらない「ヒートアイランド現象」によって都市部では連日の熱帯夜となった。このヒートアイランド現象では地表と大気の間で強烈な上昇気流が生まれるために、都会の熱を巻き込んで内陸部に向かって熱風が吹き込むことになる。「広域ヒートアイランド」と呼ばれるこの現象によって、大都市近郊の地域全域より熱くなってしまうのである。

   よく「地球温暖化が近年の猛暑をもたらしている」との解説や報道がメディアや記事でもあるが、地球温暖化と猛暑と関係における科学的な検証は、昨年2019年気象研究所、東京大学大気海洋研究所、国立環境研究所、気象業務支援センターが共同で研究したデータが初めて示されたばかりである。一方、明治以降の毎年の温度推移統計の数字を見る限りではそうとも言い切れない側面もある。確かに温室効果ガスが増えることで生じる温暖化は緩やかに気候に影響しているようだ。今後も毎年熱い夏がくることになれば、「暑さ寒さも彼岸まで」とはいかなくなるかもしれない。

   SDGs13番目の目標である「気候変動に具体的な対策を」には、上述の地球温暖化防止対策だけでなく、気候変動に伴う自然災害対策や海温上昇によるサンマなどの漁獲量減少対策があるが、ターゲット13.3にあるように「気候変動の緩和、適応、影響軽減、および早期警告に関する教育、啓発、人的能力および制度機能を改善する」ことが大事で、私たちはまず気候が確実に変動している事実と影響について正しく理解することから始めることが重要だ。

   此岸に住んでいる私たちの世界における多くの課題がすべて解決されて彼岸(極楽浄土)のようになることは難しくても、彼岸中日(ちゅうにち)の今日、季節の節目(ふしめ)らしい秋らしさが例年訪れるような気候に戻るには何が必要なのかを考えたり、私たち一人ひとりに何ができるのか、ということに思いを馳せながら過ごすのも良いと思う。

 

パンチョス萩原(Soiコラムライター)

SATOYAMAイニシアティブ 【SDGs 生物多様性とパートナーシップ】

   現在、単身赴任している神奈川県秦野市は山々に囲まれた盆地で、西に富士山を望み、市の中心に水無川(みずなしがわ)が流れる風光明媚な土地柄だ。美しい自然が季節を移ろう中でバラエティ豊かな表情を見せ、これからは市の北側に広がる丹沢の山々の紅葉が始まるのが楽しみだ。以前のコラムにも書いたが、市内11箇所に湧き水スポットがある秦野の水は名水百選に選ばれている。借りているアパートは市内が一望できる高台にあり、崖に沿って林が生い茂っているのと、隣が畑のため、瑠璃色が美しいイソヒヨドリや、キビタキ、ウグイス、ツバメ、アナグマ、イモリなどのさまざまな鳥や動物が姿を現す。

   秦野市のように、地方の市町村にはまだまだ人の手が全く入っていない山々などの自然があり、動物、鳥、昆虫、植物などが生息・群生している。その一方で、田んぼや畑、畦(あぜ)道や灌漑(かんがい)水道、林、人口湖など、長い時間をかけて人々が自然と寄り添いながら、農業、林業、漁業などを通して形成してきた「二次的自然地域」もあり、私たちは総称して「里山(さとやま)」と呼んでいる。学術的には「社会生態学的生産ランドスケープ・シースケープ(Socio-ecological production landscapes and seascapes (SEPLS)」と呼ぶそうだ。

   里山はもともと人が作ったものであるが、そこにさまざまな動植物が住み始め、生きるために適応・依存してきた。その意味で、人の活動も生物多様性の維持・向上に重要な役割を果たしてきたのである。人にとっても、里山を作り出すことで、農産物や木などの資源を得ることが出来、生きるために必要な食糧や暮らしに必要なモノを享受している。

   1950年以降、日本では高度な経済発展と工業化を受けて大都市近郊の土地開発が行なわれ、今では世界的にも生活の豊かさから大量生産、大量消費、そして大量廃棄の社会となった。その代償として環境破壊が急速に進み、原生林の消失、河川や海の汚染、特に地域過疎化による農地の耕作放棄、手入れ不足によって里山が減少し、著しいスピードで生態系の破壊と生物多様性の損失が進んでいる。

   この里山を保護し、人と自然とが持続可能な関係を構築できるよう世界と手を結び、里山に関する知見の共有を含め、社会的・科学的な観点から様々な活動を行なうために、環境省と国連大学サステイナビリティ高等研究所(UNU-IAS)が共同で2010年に、「SATOYAMAイニシアティブ国際パートナーシップ(IPSI)」を提唱した。2020年7月現在、世界の国・地方政府機関や、NGO・市民団体、先住民団体・地域コミュニティ団体、学術・教育・研究機関、産業・民間団体、国際機関267の団体がメンバーとなっている。メインな取組は、里山が “今まさに直面している課題を共有し、生物多様性の保全と人間の福利向上のために、地域の特異性に配慮しながら、人間と自然とが持続可能な関係を保持した「自然共生社会の実現」を目指す”ことだ(原文ママ 引用:https://satoyama-initiative.org/ja/concept/#cbd)。

   こうした里山保全の具体的なアクションとして、2010年10月に愛知県で開催された生物多様性条約 第10回締約国会議(COP10)において、2050年までに「自然と共生する世界」の実現を目指し、2020年までに「生物多様性の損失を止めるために効果的かつ緊急な行動を実施する」ために、5つの戦略目標とそれを実現するための20の個別目標が定められ、127の国々よって批准と加盟がなされた(名古屋プロトコル)。各政府と各社会において生物多様性を主流化することにより、生物多様性の損失の根本原因に対処することや、生態系、種及び遺伝子の多様性を保護することにより、生物多様性の状況を改善することなどに加盟国が一致団結して取り組むことが戦略目標に掲げられ、SATOYAMAイニシアティブのHPで活動事例が報告されている。

   来月からはいよいよ東京発着のGoToトラベルキャンペーンも始まる。秋の涼しさの中、美しい里山を訪れ、季節の移り変わりを感じつつ生物多様性について思いを巡らしてみてはいかがだろうか。

参照:SATOYAMAイニシアティブ https://satoyama-initiative.org/ja/

 

パンチョス萩原 (Soiコラムライター)