以前、三重県津市に単身赴任していた時分に、しばしば伊勢神宮までドライブをした。行き交う人々で賑わう「おかげ横丁」で観光客よろしく赤福を食べてから、すべての電柱が地中に埋まり、まるで江戸の町並みのような「おはらい町通り」の石畳を抜けて鳥居前に出ると、五十鈴川に架かる宇治橋を渡る。その後砂利道をじゃっじゃ音を立てながら内宮まで歩くコースだ。
古(いにしへ)の人たちには、太陽の神様である天照大御神(あまてらすおおみかみ)が鎮座する場所である西の伊勢神宮(三重県)と、夜の神様である月読命(つきのみこと)が鎮座する東の出羽三山(山形県)を、お伊勢参りを陽、出羽三山参りを陰、すなわち太陽と月を呼応させていた。江戸時代には「西の伊勢参り、東の奥参り」という言葉を用いて「一生に一度は行ってみたい場所」として庶民たちの夢となった。特に出羽三山は、現世を表す「羽黒山(はぐろさん)」、「前世を表す月山(がっさん)」、「来世を表す湯殿山(ゆどのさん)」のことであり、この3つの山を巡礼すると、前世→現世→来世を巡ったこととなり、生きながらにして生まれ変わることができると信じられている場所だ。今でも山伏もしくは修験道(しゅげんどう)たちが、冬は雪深い山へ籠もって厳しい修行を行なっており、日本古来の山岳信仰が根付いている霊場である。
ところが、この出羽三山が今大きく揺れている。この夏に大型風力発電の計画があることが明らかになったからだ。
ゼネコン準大手の前田建設工業(東京都)が羽黒山など2カ所に最大180メートルの風車を40基設置、総発電出力は最大12万8000キロワットの規模で風力発電機の建設を計画しており、8月には「計画段階環境配慮書」を公表し、風力発電事業が周辺の自然や生活に及ぼす影響を調べるための環境影響評価(環境アセスメント)手続きの段階に入った。
これには山形県の吉村美栄子知事をはじめ、鶴岡市の皆川治市長および同市羽黒町手向地区の住民らが猛反発、8月31日に記者会見を開き、「開山から1400年つないできた祈りの聖地である出羽三山の歴史と自然、景観を分断するものだ」と計画の中止と撤回を求め、署名活動を始めている(日本経済新聞2020年9月1日)。日本遺産にもなった出羽三山に風力発電が40基も聳(そび)え立つことになれば、日本の精神文化が残る聖地、ひいてはコロナ以前は多くの外国からの観光客も注目する神聖なる景観はめちゃくちゃだ。
一方、実際には、庄内地域の農地や沿岸部にはすでに風力発電が稼働しており、住人らにとっては風車はなじみの風景となっている。また、出羽三山の計画を作成した前田建設工業は全国16カ所で風力発電を手掛けており、今回の計画についても、同社の広報部は「山形県の適地調査報告書などを参考にした」と発言している。実は意外にも、再生可能エネルギーを促進する山形県は、2012年に公表した報告書に、「重要な信仰地で景観に注意」といった留意事項を書いて、羽黒山周辺を適地の一つとしてあげていたのである。これに対し、県側は「機械的に適地としたもので、ここがいいと保証したものではない」(県エネルギー政策推進課)として現在では全面的に反対しているが、経済を取るか、景観をとるか、のたたかいは今始まったばかりだ。万が一、2024年7月から建設工事に着手し、2027年から営業運転が開始されれば間違いなく出羽三山の景観は全く変わってしまうことになる。
世界に目を向けてみると、原子力発電所や風力発電所が世界遺産のすぐそばに建設される計画で裁判になったケースはかなりあるようだ。フランスとの国境に接する牧草地と森林のモザイク景観が美しいドイツ南西部シュヴァルツヴァルト(黒い森)は、その鬱蒼とした常緑樹林の森や美しい村で知られ、グリム童話のゆかりの地でも有名だが、この山岳地帯に近年風力発電用の風車があちらこちらに立つようになり、今まさに激しい景観論議がおこっている。「気候変動防止のためのグローバルな環境問題解決」と「ローカルな美しい景観の保護」という難しい問題に直面している。フランスでも2013年に世界遺産のモン・サン・ミッシェルの南に風力発電所を建設する裁判が争われた。一旦2011年に地元当局が建設の許可を出したことに対し、自然環境保護団体や修道院の所有者らが訴訟を起こしていたもので、この裁判では原告側の主張が認められて風力発電所の建築には至らなかった(出典:日本エネルギー経済研究所 2013年11月資料)。
環境省は平成16年に「国立・国定公園内における風力発電施設設置のあり方に関する基本的考え方(概要案)に対する意見募集」というアンケートを募り(総回答数168通)、その結果をHP上で報告している。当時「国立・国定公園であろうとも風力発電所などが設置できるような規制緩和を望む」という意見が全体の64%に上っていた。(環境省HP https://www.env.go.jp/info/iken/result/h160204a.pdf)
時としてSDGsの課題解決は、2つのゴールが今回の事例のようにトレードオフのジレンマに陥ることもある。省エネルギーの推進は地球温暖化対策でも本当に必要な対策だが、人の心の風景ともいうべき景観を台無しにすることは人を不幸にしてしまう。どちらか一つを選ぶという選択肢ではなく、相互が両立できるような解決を何とか見つけていくより他に道はない。伊勢神宮と出羽三山———太陽と月、陽と陰が見事に呼応しているように。
パンチョス萩原