懐石料理の本当の味わい 【SDGs 持続可能な生産消費形態】

   お盆休みに入り、本来ならば里帰りに行ったり、海水浴やキャンプなどに出かける絶好の機会であるはずなのに、今年は「外出自粛」という、これまで経験したこともない過ごし方をしている。 スマホは普段からあまり見ない生活をしてきたが、家にいることが多くなった5月以降は以前よりはスマホを手に取る機会が増え、行きたくても行けない観光地のHPを見ては行った気持ちになったりしている。京都もそんな場所の一つである。

   私は絵を描くことが好きであり、かつて仕事の傍ら、京都造形芸術大学の美術科で日本画を学んだことがある。仕事をしながら勉強することができる通信学部に通ったが、内容は本科と同等のものであった。 授業は日本画自体以外にも学ぶものは多く、教養科目にはアジア・ヨーロッパの美術史をはじめ、学術論文の書き方、茶の湯、街の出来かたを学ぶためのフィールドワーク、ひいては物理学などもあった。スクーリングの授業は京都市左京区の北白川キャンパスで開講されることが多かった。京都駅からは市バス5系統(銀閣寺・岩倉行)に乗り、「上終町京都造形芸大前」というバス停で降りれば目の前に大学はある。 京都造形芸大生は、京都市内の美術館・博物館は学生証を見せればすべて無料で閲覧できるというメリットがあったので、授業ではよく細見美術館や住友コレクションで有名な泉屋(せんおく)博古館にも出かけた。今日はそんな日本画を学んでいた2008年当時に野村美術館の学芸員(2020年現在は館長)であられた谷晃先生から教わった、茶の湯にまつわる話を少し書いてみたい。

   茶の起源は今から3000年前と大変古い。中国の漢、今の雲南省当たりから世界へ広がりはじめ、南ルートはC音(チャ)の音で伝わりアジア諸国語でチャイや日本語の茶(ちゃ)となり、北ルートはT音(ティー)で英語のTeaやフランス語のThe(テ)になったそうだ。 日本には遣唐使によって、蒸した茶葉を団子のように固めたものとして茶が伝わり、その後煮出したり煎じたりする飲み方に変わっていったが、1200年頃から「点(た)てる」という表現が用いられる飲み方(茶葉を粉末にして湯とかくはんする飲み方。茶の湯の原点)が台頭し、1300年頃には庶民の間で歌を詠んだり、わいわいガヤガヤと話をするために集まる「数寄(すき)雑談」が流行り始めた。この数寄雑談が少しずつ形式ばったセレモニーのようになり、茶数寄や侘(わび)数寄に形を変え、16世紀には現代にみられる茶室や茶道具などで茶を味わう茶の湯が完成していたといわれる。

   授業では千利休の孫にあたる千宗旦が建て、今でも現存する茶室である今日庵(こんにちあん)に特別に入ることを許され、当時の侘び茶文化を学ぶ貴重な機会を得た。「茶室に入るのには足袋か靴下を履いて下さい」と事前に言われていたため、靴下を持っていったが、茶室で履く足袋や靴下の色は白でなければならないのを全く知らなかった私は黒の靴下を履いて、一人だけずっと気まずい思いをしたことを今でも覚えている。

   さて、茶事(または茶会)に行かれたことがある方々はご承知であろうが、正式な茶事などでは茶室で懐石料理が振舞われる。「かいせき」はまた別の漢字で「会席」と呼ばれることもあり、茶会に関連しない料亭や割烹などではこちらの呼ばれかたの方が多いが、もともと質素倹約で修行にあたっている禅僧がおなかに石をあたためておくと空腹感が紛れるという意味の「懐石」が18世紀初頭から使われ始めた方が古い。今の時代では懐石料理を食べようものなら料亭などではランチでも5000円はするほど高級であるため、私自身は滅多に口にすることはないが、本来懐石料理は、旬の食材(すぐに手に入るもの)を極めてシンプルな味わいで出される質素な料理なのである。ところが、食材や香辛料は質素極まりないにもかかわらず、料理は一つのストーリー仕立てで一皿ずつ出てくる。基本的には11皿(初膳→向付(むこうづけ・オードブル)→柳に毬(まり)→向付2品目(煮物)焼き物→汁→八寸→強肴(しいざかな)1品目→強肴(しいざかな)2品目→焦し・香の物→菓子)の順番で出されるのであるが、どれもこれも極めて人の手が込んでおり、一皿ごとに盛り付けも美しく、食べてしまうのがもったいないほどの見映えである。ようするに懐石料理とは豪華な食材を味わうのではなく、作り手の手間ひまかけた時間を食するのだ。 質素な食事とはいえ、それを用意する料理人たちは交通手段も物流システムも乏しい時代に走り回って食材を買いに行った。その手間をかけて丹精につくられた料理を食べる側としては、感謝を込めて、「私のために走り回って頂き、ありがとうございます。ご馳走に預からせて頂きます。」となる。 ご存じのように英語で料理のことをCookingというが、語源はラテン語で「調理する、焼く」の意味であるが、日本語の「料理」には、作り手のひたむきなもてなしの心という無形の価値が含まれていると思う。

   懐石料理は、むやみな殺生(せっしょう)はせず、必要なものを必要なだけを、心からのもてなしを込めて共に味わう、という生態系にも人とのコミュニケーションにも優しい日本が育んだ文化に根差したものであった。そのことを改めて思い起こし、ステイホームが日常的な現在、家にいてもできる限りの「質素な贅沢」を味わいたいと思う。

   農林水産省によると、いま全世界で年間廃棄される食品廃棄物は13億トンに達している。この食品ロス問題は、国連、EUなどをはじめ各国がSDGsターゲット中12.3で「2030年までに小売り・消費レベルにおける世界全体の一人当たりの食料の廃棄を半減させ、収穫後損失などの生産・サプライチェーンにおける食品ロスを減少させる」の目標を掲げ取り組んでいるところである。実現できるかできないかは、いま私を含め、地球上で暮らす一人ひとりの努力にかかっている。

パンチョス萩原