偽物という名の本物 【SDGs 環境保護・健康】

   仏教では、性別を問わず、在家信者として守るべき基本的な五つの戒(シーラ)がある。その 第一の戒めに「不殺生戒(ふせっしょうかい)=生物の生命を絶つことを禁止」があり、この戒律によって、在家信徒は殺生をせず、動物性の食材、つまり肉や魚を口にしてはならないこととなっている。

   精進料理では、肉や魚の代わりに豆腐、こんにゃく、豆などを使って、肉や魚に似せた料理が振舞われる。例えば「がんもどき」は雁(がん)の肉に似せたもの、「羊羹(ようかん)」は、もともと羊のスープが冷えて煮凝りとなったものを想起させて小豆で作ったもの、昆布とつくね芋でアワビに似た「アワビもどき」や、赤こんにゃくをスライスした「マグロもどき」もある。精進料理ではないが、個人的にエリンギはバターで焼くとアワビのような感じになるので、アワビを食べた気分に浸れてお薦めだ。

   仏教徒のような戒律ではないにせよ、現代では食事の摂取カロリーやコレステロールを気にする健康志向な方々がベジタリアンになったり、宗教上・動物愛護などの思想上からヴィーガンなどの完全菜食主義者(肉・魚・卵・乳製品などの動物性食品の一切を食べない人々)も増えていると聞いた。また、ハンバーガーに入っているビーフパテ1枚の量を生産する際に発生するCO2は自動車が距離にして18Kmほど走った際に排出されるCO2と同量という研究もあって、より環境負荷の少ない農耕栽培で収穫された野菜を食べる人々や地球環境に配慮した商品や企業を支持する「エシカル消費者」たちも台頭してきた。さらには、肉は食べるが極力少なめにして野菜を多く食べるか、曜日によって肉を食べない日をつくる「フレキシタリアン」と呼ばれる人々もいる。

   しかし、中には本当は肉を食べたいが、健康や環境への配慮から食べるのを我慢する人たちもいて、そんな人々のために大豆を原料にあたかも本物の肉と同じ色・形・味付けの「大豆ミート」なる食品も出回っており、近年スーパーの陳列棚で見かける方々も多いと思う。これらは「植物肉」「代替肉」「人口肉」「疑似肉」などと呼ばれる食品である。ここでは「植物肉」という呼び名で統一する。

   この「植物肉」を食品化したり、ハンバーガーチェーンやレストランまでつくって客に販売していることで有名なのは、カリフォルニア州レッドウッドシティに本部を置くインポッシブル・フーズとその系列店のインポッシブル・バーガーだったり、ビヨンドミートのビヨンド・バーガーなどがある。ちなみにビヨンドバーガーは、見た目だけでなく味や風味も「本物の肉」に限りなく近いと市場から評価され、米国の大手スーパーで史上初めて生肉コーナーに陳列された「肉ではない商品」であり、またビヨンドミートも「植物肉」業界で初めてNASDAQに上場した会社である。

   そんな中、塩化ビニル樹脂や半導体シリコンの分野で世界シェア1位の信越化学工業が、大豆など植物由来のタンパク質で作る「植物肉」向け素材に参入したとの記事が8月31日の日本経済新聞に載っていた。信越化学工業が手掛けるのは「植物肉」に混ぜる接着剤で、パルプに含まれるセルロースを原料にして作るそうである。欧米の植物肉メーカーへの供給を増やし、新たな収益源に育てる戦略らしい。

   記事を読み進めると、世界の「植物肉」市場が2024年には、227億ドル(約2兆4000億円)と2019年に比べて約20%も増える見通しになることが書かれていた(調査会社ユーロモニターインターナショナルによる調査)。そのため、食品メーカー以外から「植物肉」市場への参入も相次いでいる。欧米では、素材メーカーの化学大手であるDSM(オランダ)は、塩分を抑えながら肉の風味や食感をつくり出す素材を供給し、米デュポンも2019年には中国メーカーと「植物肉」を共同開発している。日本では日本ハムやネスレ日本などの食品メーカーが相次いで「植物肉」に参入している中、信越化学工業の参入となった。今後も多くの業種から「植物肉」は熱い視線を浴びることが予想される。

   牛のげっぷなどから出るメタンガスは、CO2の25倍の温暖化効果があると言われているため、動物由来の肉の消費を抑え、代替の「植物肉」へ参入している企業は、環境などへの姿勢が考慮されてESG(環境・社会・統治)投資の視点からも評価されやすい。

   企業にとっても消費者にとっても、この「植物肉」は「単なる肉のフェイク」ではなく、社会的貢献、健康維持、環境保護など、SDGsが目指す行動に対して、多くの課題解決と利益をもたらす、「見せかけではない実質を伴った本物」なのである。

パンチョス萩原